山中渓の道祖神は南から大阪に入る悪病を守っている神様だよ

山中渓の道祖神(阪南市)

JR阪和線で大阪の最南端に位置する「山中渓」と言う駅。ここは春になると桜の名所としれ知られていますが、人の出入りも少ない無人駅。近くには無料で遊べる公園「わんぱく王国」があるので週末には賑わう事も多いです。

山中渓の道祖神

私は、大阪から和歌山に行く時、最近では高速道路を利用する頻度の方が多くなりましたが、下道の時はこの山中渓(やまなかだに)の駅前の道を通る使います。ちなみに、岩出方面に抜ける場合は県道63号(風吹峠)が便利で走りやすい。この64号は道は少し狭いけど地元道で渋滞もなく、心地よい山道と言った感じの道です。

今回は、そんな路上にある歴史スポットの紹介しましょう。

山中渓の道祖神

府道64号の山中渓の駅スグの場所には「紀州歴史街道」が続いています。紀州歴史街道と言えば熊野古道が頭に浮かびますよね。この熊野古道とは、熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)に通じる参道を言い、紀伊地、小辺路、中辺路、大辺地、伊勢路があるのはご存知の通り。ここは紀伊道に当たります。

この界隈は熊野古道に加え紀州街道も重なり、江戸時代の頃は、けっこう要所でもあり、今は静かな町ですが、江戸の頃には行き交う人も多く、栄えていたようです。

山中渓の道祖神

さて、この街道の名残りとして、今でも多くの方に親しまれているのが山中渓の道祖神。下の写真を見ると、石を屋根にした小さな社がありますよね。

山中渓の道祖神

案内板を見ると、江戸時代には紀州藩(現在の和歌山県)では12月20日になると、犯罪者や悪病の病人を県境に追放してたそうです。県境って…、この山中渓の駅が阪和線で大阪最南端なので、県境はスグそこ。耳を疑うようなマジ?って言いたくなる話です。

当時の紀州藩と言えば御三家の一つ。もの凄い権力があったんでしょうね。しかも県境と言っても和歌山側ではなく大阪側。つまり完全に紀州藩から罪人や病人を追い出していた。ひどい言葉で言えば捨てた感じでしょうか。考えられない話です。

その結果、要するに…毎年年末頃になると、江戸時代の頃は和歌山から追放された人が、この辺をさまよっていたと言う事なのでしょう。この周辺に住む人からすると、とんでもない参事に違いありません。

山中渓の道祖神

だから、当時は「はての二十日のろうばらい」と言って戸を閉め切って、悪病の退散を願ったようです。怖かったでしょうね。

山中渓の道祖神

そこで、この山中の南の入り口に鎮座している道祖神(塞の神(さえのかみ))がずっと町を守ってくれていたようです。その甲斐あってか、この山中では殆ど被害が無かったとか。ここを行き交う旅人の安全もずっと見守ってくれている道祖神、実に有難い神様なのです。

あまり歴史の表舞台に出て来ない地元に残る話は実に興味深い。今から僅か200年ほど前の話ですが、想像もつかないような事が多々ありますね。尚、この先には「山中神社」「地福寺」があります。

山中渓の道祖神(塞の神)

場所:JR山中渓の駅のほぼ目の前です。