本能寺跡&南蛮寺跡(京都、中京区)
京都は歴史好きにはたまらない場所。日本のどの時代を切り裂いても、京都は必ずと言って良いほど何らかの歴史的ロマンが詰まっている。
例えば、戦国時代の最大のミステリーとも言われる本能寺の変。以前のブログで、その本能寺跡地について書きましたが、現在は何ら面影もない。石碑がポツンとあるだけ。
それでも…
見に行きたくなっちゃうんですよね。不思議なモノです。
この本能寺跡から西に向かって4~5分歩くと…
何か案内がありますよね(‘ω’)ノ 何だと思います?
実はこれ… 織田信長に関係のある場所なんです。
しかも、一説によれば、本能寺に抜け穴があり、もしも異変が起きた時に信長が逃げ出せるように抜け穴があって、その出口があったとも言われている場所です。
あっ!(‘ω’)
今…「小説に影響され過ぎ!」って言いました?
そう、ここは 南蛮寺跡 です。
本能寺の抜け穴の話は小説の物語で、その抜け穴の先が南蛮寺と言うストーリー
南蛮寺の詳しい内容は、この案内板を。
この本能寺と南蛮時の抜け穴の話は、
人春文庫 加藤廣著書の『信長の棺』に登場します。
この本では、本能寺から南蛮寺への抜け穴があった事が描かれ、その抜け穴を使って逃げようろする信長の行動を先読みして、抜け穴を塞ぐよう指示した男がいた。
それが信長を消した黒幕…。
もちろんフィクションですが、これが、けっこう面白い!
でも、あり得ないよな…
だって、歩いて4分。グーグルマップで調べたら350mほどの距離。そんな長距離、今の私たちの時代でも大工事になるはず。
それを信長の時代に手作業で、しかも周囲の誰にも気づかれず、内密に抜け穴を掘るなんて非現実的過ぎる。ありえない。実際にこの場所に来て、歩いて見たら分かる。
あれ?でも…
南蛮寺跡の石碑には「この付近」とある (p_-)
改めて地図を見てみると…
本能寺跡も京都の古地図と比べて見ると…、現在の石碑のある場所より北側にあったようだ。グーグルマップで見ても、その場所は「元本能寺」と言う地名が残っています。
なるほど…!
それに、南蛮寺跡も「この付近」とあるように場所は明確ではない。そもそも当時の敷地面積がそれなりに広かっただろうし… そう考えたら抜け穴があった可能性も…
やっぱ、難しいかな(笑)
でも、そんな事を考えながら、本能寺跡を巡ると結構面白い。『信長の棺』は私的には読みごたえ抜群の一冊です。おすすめ!
本能寺跡
場所:京都市中京区元本能寺南町