【滋賀】姉川の合戦跡の信長本陣跡へ!茶臼山そして龍ヶ鼻と陣杭の柳

姉川古戦場の信長本陣跡(滋賀県、長浜)

滋賀県長浜市を流れる姉川。1570年6月28日、浅井長政&朝倉景健の連合軍18,000人、織田信長&徳川家康の連合軍29,000人が姉川を舞台に壮絶な戦いをし、午前5時頃に始まり、午後2時頃には勝敗は決し、浅井&朝倉軍は小谷城へ退陣したと言う。

世にいう、姉川の合戦ですね。県道37号線を走っていると、小高い山が見えてきました。あそこが織田信長が本陣を置いたと言われる場所です。

姉川古戦場跡、信長の陣地跡

姉川周辺は各地に案内板が設置され、色々と巡りやすいが、実際には定かな事が分かっていない点も多いとか。織田信長が本陣を置いた場所もあくまで通説と言った感じのよう。

姉川の合戦で織田信長の本陣があったと言われている場所は龍ヶ鼻砦。ここは茶臼山古墳をはじめとした古墳が約1キロ連なり、横山から続くその姿は臥龍山と呼ばれ、姉川に近い北端の龍ヶ鼻は龍が姉川の水を飲む姿に見えた事からその名がついたとか。

姉川古戦場跡、信長の陣地跡

現在、この茶臼山古墳のある丘陵には柵があり中には入れないが、姉川古戦場跡を記す案内板はなんとか見ることが出来ます。

姉川古戦場跡、信長の陣地跡

この茶臼山古墳のある場所のすぐ目の前、県道37号線沿いに石碑が見えます。

この場所は、信長が浅井軍&朝倉軍が姉川北岸まで出てきたことを知り、先ほどの茶臼山古墳の辺りから前進し、この付近で陣を構えたと言われているそうな。

姉川古戦場跡、信長の陣地跡

また案内板には、ここに立つ柳に太鼓をかけて指揮をした事から、この地は陣鼓と呼ばれるようになり、それが現在は「陣杭(じんご)」となり、そして姉川の合戦で信長が陣をした場所は「陣杭の柳」と伝わったとか。

まぁ~そんな説明が書かれているわけですが、柳の木は何処にあるのか??

姉川古戦場跡、信長の陣地跡

案内板には、信長本陣の柵に使われた生木が自生したと伝わっているとあり、現在の柳は3代目の木から枝を取った4代目と書かれていました。

でも…、柳の木が見当たらない。

姉川古戦場跡、信長の陣地跡

案内には「尾上柳」と種類まで書かれていますが、私には柳が何処か分からなかった。分かったのは徳川の陣地跡です。

ほら、下の写真で遠くの方に見える小高い丘のような茂みのような場所。あそこが以前ブログでも紹介した家康が本陣とした岡山のはず。

姉川古戦場跡、信長の陣地跡

地図で見ると、こんな感じですね。

姉川古戦場、徳川本陣跡

今ではここで激しい戦があったなんて想像もつかないほど平和的。

姉川古戦場跡、信長の陣地跡

結果だけを言えば信長の圧勝で終わった。そして、この後に朝倉家は滅亡し、浅井家も滅亡の道をたどる。この姉川の合戦で信長が勝利していなければ、どのように歴史は変わっていたのだろう?

今では石碑や案内板しかない古戦場跡。今私たちが知る歴史は、どこまで正しいかどうかは分からない。現代では見ることが出来ない過去の出来事。小説が歴史の通説となってしまう事も多い。曖昧で小難しいと言う人もあるけど、分からないからこそ歴史は面白いと思う。

ただ、ここで大戦があり、何かを得ようと、また大切なものを守ろうと、多くの血が流れたのは事実なのだから…。

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姉川古戦場の信長本陣跡(滋賀県、長浜)

場所:滋賀県長浜市東上坂町