カトリック玉造教会(大阪)
大阪城の南に細川忠興の屋敷跡があります。関ヶ原の合戦が起きる直前、忠興の妻である細川ガラシャは石田三成の人質を拒み、自らの意思で命を絶ちました。
この内容が前回のブログです。この事件と細川屋敷跡に残る井戸(越中井)について書いてみました。今回はそのづぐ近くにあるカトリック玉造教会に関してです。
ちなみに、細川ガラシャという名前は洗礼を受けキリスト教徒になった名前。もともとは玉子(玉ともいわれています)といいます。明智光秀の娘です。
ここで気になるのが、このカトリック玉造教会が細川ガラシャが足を運んだ大坂教会のあった場所なの?ってこと。どうやら、それは…違う様です。
この教会のあった場所も、細川忠興の屋敷の一部だったみたいですよ。
では、大坂教会は何処にあったのか?
色々と調べてみると、大坂教会に関する正確な資料は残っておらず、場所は定かではないようです。推測されているのは現在の北大江公園です。
ここは淀川(現在の大川)の八軒家船着場の跡から近い高台で、秀吉が誰もが欲しがった極上の場所を与えたという記録から、推測されているのだとか。
おそらく、この大坂教会の近くに高山右近(洗礼名:高山ジュスト右近)の屋敷もあったといわれています。高山右近はこの当時、既に高槻を治めていましたが、様々な史料から、この付近にも屋敷があり、そこに多くの人々に影響を与えたようです。
きっと、細川ガラシャもその一人だったのでしょう。
これはカトリック玉造教会の前に立つ、高山右近像です。
教会の敷地内には、聖母マリア像があります。
1894年、この玉造の地に聖アグネス聖堂が建てられ誕生しました。
しかし、教会は戦災によって焼失してしまいます。その後、ザビエル来日400年記念の年に建設された聖フランシスコ・ザビエル聖堂に引き継がれ、1963年に司教座聖堂「聖マリア大聖堂」へと生まれ変わったのです。ー案内文より。
とっても素敵な教会です。
こちらには細川ガラシャ像がありました。
戦国の時代に、このような格好でいらっしゃったのだろうか?
おそらく目立つことは立場上できなかったでしょうけど、素敵な女性であったことは間違いないでしょう。
カトリック玉造教会の中へ
この教会は以前にも来たことがあり、旧ブログでも書いた事がありました。でも教会の中には入れないだろうと思っていたのですが、入り口付近に関係者がいたので聞いてみると、入っても大丈夫とのこと。
さすがに写真はダメかな…と、それも聞いてみると、配慮した上であればとOKをもらいました。内部の写真は要確認です。商用利用はNGとのこと。
入り口付近だけソッと見せてもらうと…
この開放感、鳴り響くオルガンの音、そしてステンドグラス、とっても神々しい。この場にいるだけで、不思議と心に伝わる優しさを感じます。
あ…!あれは高山右近だろうか?
こちらは細川ガラシャかな?
中央にも高山右近、細川ガラシャと思われる絵がありました。
教会の公式サイトを見ると、毎週日曜日にミサが捧げられており、カトリック信者でない、他宗教や他宗派の方、無宗教の方も参加ができるそうですよ。
細川ガラシャゆかりの地にある教会、興味のある方は足を運んでみては如何でしょうか。
カトリック玉造教会
場所:大阪市中央区玉造2-24-22
電話:06-6941-2332
公式ホームページ