上野公園の西郷隆盛像が庶民姿で犬の散歩してるのはナゼ?

西郷隆盛像(東京・上野公園)

幕末から明治維新と言う激動の時代を過ごした数ある人物の中で、西郷隆盛と言えば知らない人はいないはず。そんな西郷さんの銅像が東京台東区の上野公園にあるのは有名ですね。

ここは観光名所と言って良いのか分かりませんが、初めての東京旅行、また歴史好きな方は、一度立ち寄ってみたいって方も多いのではないでしょうか。

上野公園、西郷隆盛

この西郷さんの銅像は1898年(明治31年)に建設されました。西郷の死後21年後です。この像は、西郷さんの愛犬「ツン」を連れ、うさぎ狩りに出かける姿をモチーフにしたと言われています。

しかし、この時代の偉人と言えばパシッと決まった軍服姿が多いはず。それなのにこのカジュアルな感じには少し違和感すら感じます。

西郷隆盛像は実際の顔と似てない?

西郷さんの顔は実際と全然違う。そんな噂を聞いた事はありませんか?この西郷さんの銅像を見た西郷さんの奥さんが「本人と全然似ていない」と言ったのは有名な話。

この発言から西郷さんの顏が実際と似ていないと解釈されていますが、実際は、西郷さんは礼儀を重んじる人で、人前でカジュアルな姿を見せる人ではなかった事から「全然違う」と言ったとも言われています。

実際はどうなんでしょう。西郷さんは写真嫌いで、写真が残っていないのでこの辺は闇の中ですが、この西郷像は本人とそっくりと言う説もあるようですよ。

上野公園、西郷隆盛

西郷隆盛像が庶民的な姿になった理由

この西郷さんの銅像がカジュアルで庶民的な理由として次のような事が考えられます。

①西郷さんの飾り気のない人物像をそのまま表現した 。
②新政府に対し反乱(西南戦争)により、その後の反政府の象徴なっては困る

つまり、人気ある西郷さんが軍服姿や大将服姿でいると反政府運動のキッカケになる可能性を懸念したとも言われ、政治的な理由が大きいようです。

しかし、何故そこまでして西郷さんの像を建てたのか?それは西郷隆盛と言う人物の人望&過去の功績に他ならならず、この①と②が複雑に絡み合っていると言えそうです。

新政府に反乱を起こした西南戦争も、そもそも西郷さんが引き起こしたのではなく、時代の変化による廃刀令など士族の不満を誰かが受け止めないと行けない状況で、そんな役割を担ったのが西郷さんだったのでしょう。

自分の意志の反乱ではなく、不平士族の担ぎ出される形での反乱。このことは明治天皇を始め、大久保利通や木戸孝允らも理解していたのではないでしょうか。

上野公園、西郷隆盛

なぜ、西郷さんの像が上野にあるの?

西郷さんと言えば薩長同盟や戊辰戦争の軍勢の指揮など様々な功績がありますが、その中でも特に有名なが勝海舟と会談して江戸城無血開城でしょう。

世界中の歴史から見て政権が変わる時、何百何千の人々の血が流れ、町は燃え、庶民は苦しみ、ってのが当たり前の時代。それを無血開城なんてあり得ない功績。そう考えたら、江戸城前に西郷さんの像があっても不思議ではないのですが、上野公園にあるのは何故でしょう?

上野公園、西郷隆盛

そんな事を考えてみたけど、正確な答えは分かりませんでした。しかし考えられるは、西郷さんの像のすぐ近くにあった「彰義隊の墓」に少し関係がありそうです。

上野公園、西郷隆盛

西郷隆盛と勝海舟が会談し歴史的な江戸城無血開城の後、それに反対する徳川の家臣達がいました。彼らは彰義隊を結成し、上野の寛永寺に立てこもり勃発したのが「上野戦争」です。

上野公園、西郷隆盛

この彰義隊を打ち破ったのが西郷隆盛で、この西郷さんの像のある付近が、西郷さんが攻め込んだ場所と言われているそうです。

ほら、こうやって見ると、西郷さんの像の後ろに彰義隊の墓が見えますよね。

上野公園、西郷隆盛

それにしても、彰義隊を打ち破った功績の地に西郷さんの像を建てるのであれば、やはり軍服や大将服が妥当な気がします。それがカジュアルで庶民姿で犬の散歩。この図式ってやっぱり違和感があります。

でも、よく見ると彰義隊の墓の方を見つめるわけでもなく、背を向けている。そう考えると、やはり西郷の高い人気から反政府的な象徴にならないよう、西郷さんから武人としての牙を抜いて人畜無害な人物と言った印象作戦もあったのかもしれません。

ふと、上野公園を散策して、こんな事を感じたりしました…。