(スポンサーリンク)

【愛知】武節城址の案内版が地味に面白い!「詳細は徳川家康の本を」と…

武節城址(愛知県、豊田市)

愛知県豊田市と言っても、岐阜県と長野県に隣接する山に囲まれた自然豊かな武節町(ぶせつまち)の道の駅で武節城址の案内がありました。ここは「長篠の戦い」で大敗した武田勝頼が落ち延びた城です。

武節城址

道の駅に車を置いて歩くことも出来るけど、観光案内の方から道は狭いけど山の上まで車で行ける事を教えてもらったので車で行ってみる事に。それほど大きな山ではないけど、歩いて行くと急な坂道は歩くと大変そうです。

車で頂上付近まで行くと、道の駅からは約8分ほど。

武節城址

もう城跡と言っても、殆ど分かりにくい当時の痕跡は残っていません。この広い敷地が本丸のあった場所で、そのすぐ下は二の丸跡もありました。

武節城址

何もないと言ってしまえばそれまでですが、ここは1571年に武田信玄が上洛を目指した時に大軍を率い戦わずに開城した城でした。まさに絶頂期ですね。その直後に武田信玄は死去し、武田家の勢いは失速して行きます。

2年後の1573年に長篠の合戦で大敗した武田勝頼が、甲州への岐路に立ち寄って一夜を明かした城でもあり、ここで過ごした勝頼の心情は失意のどん底だったに違いない。

武節城址

2年間で武田家の運命は大きく変わったわけですが、7年後の1582年に武田家は織田信長によって滅亡させられるのは有名な話。

長篠の合戦で大敗した時に、勝頼はこの城で梅酢湯を飲んだと言う有名な言い伝えが残っているけど、周辺で梅酢湯を飲める場所はありません(2017年10月現在)。以前のブログにも書いた通り、ここは町興しとして改善して欲しい!

武節城址

さて、この武節城に話を戻すと、この城は長篠の合戦の後、徳川家康の家臣・酒井忠次に攻略され、長篠の合戦で長篠城を守り抜いた奥平伸昌の所領となる。

武節城址

少し高い所からみた武節城址です。

武節城址

ちなみに、案内板を見ると…この城は徳川家康のの長男、徳川信康が14歳の時に初陣として攻めた城でもあったようです。

しかし案内には「詳しくは山岡荘八の小説『徳川家康』の中に詳しく書いてある」となっている。そりゃそうだろって思うけど…この本は全26巻あり、ギネスブックに登録されている「世界最長の小説」でもある。

詳しく知りたければ、その長編小説を読めってこと?

この山岡荘八の徳川家康は26冊もある超長編だぞ!って知ってこの案内版を見たら、何だかジワジワ来る面白さがあって、ツッコミ甲斐ある案内版でした(笑) 実は私も読みたいけど、26冊を読み切る自信なく、未だ読めずの本なのです。

この小説は1冊700円ほどして26冊、全部そろえると結構な値段になりますが、Amazonの中古品では山岡荘八の小説『徳川家康』全26巻をみると7980円(2017年10月30日現在)でした。中古ですけどね。人生観が変わるほどの名著と言う人も多く、気にはなるけど…やっぱ26冊は厳しいね。

武節城址

この案内の中に武節谷合戦の事が書かれ、そこには「落城の際に、城下で姫が身を投げた井戸がある」と書かれてて、

武節城址

この井戸は「姫井戸」と呼ばれ、道の駅のすぐ裏手にあります。

武節城址

草で覆われているけど古井戸って感じもせず、キレイな状態で残っています。そしてお姫さまが身を投げたと言うのが、意外なほど小さな井戸。

武節城址

あまり井戸の中って覗くのは気が進まなかったけど、そっと見ると…

武節城址

ちょっと変わった蜘蛛の巣を発見しました。調べて見るとカタハリウズグモの巣らしい。この白い部分は蜘蛛の隠れ帯らしく、ここに身を隠すんだとか。逆に目立ちそうな気がするけど…、自然界って何だか面白い。

時には歴史を感じながら、古城跡を散策してみるのも良いものですよ。

武節城址

愛知県豊田市武節町シロ山194