大避神社(兵庫県、赤穂市)
兵庫県の赤穂と言えば、美味しい牡蠣や鯛など海の幸で知られ、旅行などで赤穂を訪れる時は赤穂城や赤穂大石神社に加え、海の駅しおさい市場などに足を運ぶ人も多いでしょう。
その海の駅しおさい市場のすぐ近くに、大避神社と言う名前の神社があります。大避…と言う名前が気になり、近くまで行ってみました。
すると、目の前に鳥居があって、緩やかな坂道…。道は狭そう、この先を車で進んで大丈夫なのか少し躊躇しながら進んでみた。
本堂に続く階段の左側に道路は続き、そのまま道なりに進むと山道になった。グーグルマップで確認すると近くに坂越浦城跡があるみたいだけど、駐車場は見当たらない。仕方ないので近くにあった公衆トイレ付近に路駐して、歩いて神社へ。
良い雰囲気です。石段を登ってい行くと神門が見えてきました。
そこには随神の姿が。日本の神道において、神を守る者として安置される像を随神(ずいしん)、もしくは門守神(かどもりのかみ)と呼んだりします。
左右に随神がいる門を「随神門」と呼ぶこともあるそうです。
神社に行くと、このような随神を度々見かけますが、面白いなぁ~と感じたのは、その裏に仁王像が背中合わせに配置されていること。
まさに、神仏習合ですね!!
それにしても、ここからの景色の風情が良い。目の前に海が見え、島が見える。
さて、神門を過ぎるとスグに拝殿と本殿があります。狛犬も歴史を感じます。あ…
うん!ですね。
狛犬を見ると、癖で「阿吽(あうん)」を確かめちゃいます。東南アジアに行くと「あ」「あ」が多いんですよね。日本でも、何度か「あ」「あ」を見た事があるけど、あれって何なんだろう?いつか調べたいものだ。
さぁ到着です。
ここに来て驚いたのは絵馬の多さ。スゴイですよ!!
そこら中に絵、絵、絵なんです。
色褪せて何の絵か分かりにくいものもある。1722年頃の日本で最も古い船絵馬もあるそうな。どれだか分からなかったが…この辺かな?
ちょっとした美術館のよう…
えっ…、これって…
幽霊の絵…だよね。カメラを向けて大丈夫か少しドキドキした。私はお化けや幽霊は苦手で怖い。もし夕方に誰もいない中だったら無理かも。
他にも色々あります。
ところで、なんで大避神社って名前なんだろ?大きく避けるって海が近いから津波から逃げる?みたいな意味なのかと思ったら、全然違いました。
時代は聖徳太子の頃まで遡ります。聖徳太子の元に秦河勝と言う人物がいた。彼は6世紀頃に朝鮮半島を経由して日本列島の倭国へ渡来した渡来人と言われている人物。京都最古の寺とされる広隆寺を建立、聖徳太子より賜った弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)を安置した事で知られています。
聖徳太子の死後、秦河勝は蘇我入鹿と不仲で、迫害を避け、海路をたどって、この赤穂の坂越の地に移り、この地で80余歳で死去したと伝わる。そして地元の民がその霊を祀ったのがこの神社の由縁なんだとか。
それなら大難を避けて来たから「大避神社」になった?
実際は、それが直接な名前の由縁ではないでしょうけど「災厄を避ける」から「大避」となったようです。また「オホサケ」は「大裂」の意味もあり、土木技術によって大地・川を裂き開拓を行なった秦氏をたたえる神格とする説もあるんだとか。考えたら奥深い。
ちなみに京都の太秦にある大酒神社も元の神名は「大辟神」だそうな。日本の歴史を紡ぐ糸を解いて行くと、色々とつながりがある。これだから歴史は面白い!
つでに、この神社に伝わる興味深い仮説を言えば…
秦氏はキリスト教に改宗したユダヤ人集団だったという説。そして大避神社の「大避」の「避」は「闢」だとしたら、旧約聖書に出て来るダビデ王の漢訳「大闢」となる。つまり大避神社はダビデ王を祀った神社とも囁かれているそうな。
他にも、キリスト教で重要視される「12」の数字にまつわる事象が多く、拝殿の天井絵が12枚、拝殿に向かう階段が12段、井戸の石柱の数、船渡御の祭礼船、神社を守る社家の数など12に関係しているものが多いとか。このようなミステリーを主体に大避神社に足を運ぶのも面白いですね。
大避神社
場所:兵庫県赤穂市坂越 坂越1299
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