そろそろブログの再開を!
夏以降からブログの更新が出来ずにおりました。そろそろ再開を考えています。
ブログって書いている時は生活の一部で当たり前の存在ですが、少し休んで間を開けてしまうと、書かない自分に慣れてしまう…。ダメですね。
さて、来年の2020年大河ドラマは『麒麟がくる』で明智光秀が主役。
とっても面白そうで興味があり、岐阜県、福井県、京都府など色々と取材をさせて頂きました。これらはブログでも書いていくつもりです。
2019年12月5日
↓では、再開します。
亀山城跡の紅葉(京都・亀岡)
下の写真は、取材の時に立ち寄った京都府亀岡市にある亀山城跡で目にした紅葉です。このイチョウの感じ、素晴らしいと思いませんか!
取材で訪問した際、時間に余裕がなく急いで撮った1枚ですが…
ここに寝ころびたかった…。
この亀山城に関しては、ブログで改めて書きたいと考えていますが、いつになるか…なので、紅葉の時期である今、亀山城のイチョウの話を少し入れてみましょう。
この城は、明智光秀が1577年ごろに築城した城で、本能寺に向かう時、光秀はここから出発します。つまり「本能寺の変」は、ココから始まっているのです。
そう考えたら、ますます面白いですよね。
ちなみに…
この亀山城の周辺って、イチョウ並木が多いのです。
こんな感じ。↑
実は、意味があって、このイチョウ並木は明智光秀に関係があると言われています。
亀山城は、明治維新のあと廃城令により解体され、現在は宗教法人 大本教の敷地内です。本丸跡のすぐ手前までは行けますが、奥までは聖域となり入る事が出来ません。
絵地図で見ると、大銀杏が見えますね。この大銀杏は光秀の手植えと伝わっています。
そう、この場所です。
これ以上、奥には行けません。
明智光秀と言う人物は、謀反人というレッテルを貼られてしまい、世間的には良いイメージを持たれていないかもしれません。しかし、実際には知的で政治力もあり、家臣や庶民に慕われていました。人格者だったといわれています。
信長を急襲した理由は謎のままで、黒幕がいたのか?いなかったのか?様々な仮説があります。ただ、信長に謀反し殺したのは光秀。これは間違いないでしょう。
もしかすると、光秀を必要以上に悪者とすることで、得する人がいたのかもしれません。それは秀吉とも言われてますが、事実はわかりません。
いずれにせよ、意図的に明智光秀に関する資料が徹底的に抹消されているのは事実です。
しかし、この亀岡では光秀を慕う気持ちは残り続け、廃城令の際も、この木(光秀手植えのイチョウ)だけは残してほしいと嘆願したとそうです。そして市街には、その木に続けと言わんばかりに、沢山のイチョウ並木が見られます。
このようなのを話を聞くと、なんだかホッと癒されます。
今回の大河ドラマ、どんな光秀を描いてくれるのか、今までにない明智光秀の人物像に期待が膨らみます。今回は見応えありそうですよ!
さて、このブログもボチボチ通常に戻していくように、更新頑張りたいと思います。
亀山城跡
場所:亀岡市荒塚町内丸1