寺田屋(京都、伏見)
坂本龍馬ゆかりの地は日本中色々ありますが、龍馬ファンにはたまらない場所と言えば、京都伏見にある「寺田屋」でしょう。
この寺田屋は当時のままの状態で今なお残る貴重な建造物で、寺田屋事件などによる生々しい傷跡が柱に残ったりもしている事で知られています。しかし寺田屋そのものは鳥羽伏見の戦いで焼失し、これら現存しているのは疑わしいと言う説もあるようです。
実際はどうだったのか?など云々は分かりません。ウィキペディアには「現在の建物は後の時代に当時の敷地の西隣に建てられたものであると公式に結論した」と書かれています。
うむ…。ただハッキリしているのは、龍馬好きとしては、やっぱり寺田屋に来るとワクワクするってことでしょうか。
さて、寺田屋の入場料は400円。もちろん中に入って来ました。一度に書くと長くなるので、今回は寺田屋周辺に関して書いてみることにしました。
まずは下の写真をご覧ください。
この写真は館内にあった幕末?明治の頃?の寺田屋付近の写真。
この写真に寺田屋が映っているのか私には良く分からなかったが(右端の建物がそおうかな?)、当時はこんな雰囲気だったようです。
そして現在はこんな感じ。石段は当時のままか分からないけど…
現在は石段の先にある石段は無くなっている。ちょっと残念…。
その代わりと言っては何だけど、現在は龍馬とお龍さんの像がある。
これが寺田屋の正面で、
そこには「伏見寺田屋殉難九烈士之碑」があります。
寺田屋と言えば坂本龍馬の定宿としてもイメージが強いけど、ここは薩摩藩の定宿だっとようです。そしてここで薩摩藩士同士の切り合いがあり9名の死者を出したと言う。
激動の幕末、憎しみや怨恨ではなく、日本と言う国を思う考え方の違い。保守か急進か、新しく藩主となった島津久光との考え方は倒幕や尊王に傾倒する急進的な考えではなく、急進派を始末したと言う事件。
藩主であった久光が下した始末の命令に、藩士たちは涙を流しながら仲間同士で切り合ったという…。凄い時代ですね。
さて、寺田屋の横には空き地があり、そこには様々な石碑があります。
ここに「お登勢明神」がありました。
龍馬の時代に寺田屋の女将さんだった女性ですよね。龍馬とお龍さんを結んだことから、ここでは若き男女の守り神になったそうな。
私は小説レベルでしか龍馬を知りませんので、勝手なイメージで言うと、「そ…そうなんだ…」って言うのが正直な印象。ちょっと違和感があったりもする。私だけだろうか。
願をかけた絵馬もいっぱいです。
これは坂本龍馬の碑… 文字が薄く全く読めません。
これは女将お登勢と寺田屋の由来の碑
これは維新当時の井戸です。
これは龍馬の有名な唄ですね。
そして、その奥には…
小さな龍馬像がありました。
かなり観光地化しているのは仕方ないですよね。坂本龍馬って言えば幕末のヒーローで人気あるからね。時代が流れると当時のままと言うのは不可能だ。
どんなに観光地化しても、仮にこれが当時の建物でなくとも、幕末の頃にはこの界隈を龍馬が歩いていたと感じるだけで、いもんだなぁ~と思えたりもする。
では、また後日に「寺田屋の建物の中」をブログに書いてみよう と思います。
寺田屋
場所:京都市伏見区南浜町263
電話:075-622-0243
営業:10:00~15:40
入場:大人400円
参考になるサイト